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  • 2007.06.18 Monday
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超・学校法人スタア学園 1 (1)

 最近、ブックオフとか近くの古本屋なんかで地味に拾い集めてる。『スタア☆学園』なんて、中・高のころは手を伸ばせば届くトコにごろごろ転がってたモンだけど(大体友達の家に遊びに行くと、ちょっとヤン入ったそいつの兄貴の部屋にあるのが定番。で、ドンタコスとか寝そべり食いながら『サザンアイズ』とか『ビーバップ』読んでると、「いいもんあんだぜ〜」って感じで兄貴が『バタアシ金魚』貸してくれたりするっていう…)、いざ大人になると意外にコンプリート難しいッス。
 内容についてですが、これはオタクにも、ヤンキーにも、優等生にもスッキリはまれないボンクラ男子の、夢の楽園だね! だって主人公のコキジがイジメられて学校から逃げ込む「池袋迷画座」で掛かってるラインナップが、『エル・パトレイロ』『レポマン』『ストレート・トゥ・ヘル』……アレックス・コックス三本立てだよ!? 最高すぎるだろ。こういう、ダメ〜なオタク男子の性欲混じりのグダグダデイズが、適度な猥雑さ(≠ヤンキー勢力)につつかれてる感じのマンガに、『湘南グラフィティ』とはまた違った角度で、俺はたまらなく弱いです。何だかよくわからない、危なっかしくも面白そうな世の中の波にゴロゴロ揉まれて、「やれるじゃん、俺」って強さをちょっとだけ身につけてまたグダグダした日常に帰還する、というのも、『シガテラ』まで続くヤンマガ的青春マンガの王道テーマ。
 コキジの悪友の仲本がいいんですよ。友情に篤いわけでもなく、スタンガンと盗聴器を駆使して悪さしまくるただの変態デブなんだけど、その無闇なバイタリティを随所で爆発させて、本作のオモシロを独走。漫才コンビ「ブリーフ・ブラザーズ」(もちろん『ブルース・ブラザーズ』のパロディ。そう、ある時代まで、『ブルース・ブラザーズ』はツラも成績も三下なダメ男子の憧れそのものであった!)で芸人根性を骨まで叩き込み、最後はちゃんとかわいい子とくっつくの。いいでしょう。『シガテラ』で一抹の寂しさを感じるのは、仲本に当たる高井があっけなく日常からリタイアしちゃうからなんだよね。それが現代的リアリティなんだって、言うヤツはそりゃ言うだろうが、そんなリアリティなんぞ(以下略!)

極道兵器 1 (1)

 なんで書影が出んのんじゃ〜!!
 先頃大往生されたKEN石川先生の、面白すぎるバイオレンスアクション。暴力ジャンキーな狂犬ヤクザ・岩鬼将造(見た目とメンタリティは完璧に『仁義なき戦い 広島死闘篇』の千葉ちゃん)が、体中に重火器を仕込み、建物という建物を爆破し、虫ケラのように敵を虐殺しまくるという、テレ東チルドレンの妄想ハリウッド映画を具現化したようなマンガです。ちっこい自意識の背比べとか、911以降の暴力否定とかがエンターテインメントのリアルだというんなら、そんなリアルなど焼却炉にでも放り込まれちまえ! 爆破、虐殺、また爆破の脳天突き抜けるカタルシスこそ、今のマンガに最も足りない旨み成分なんだコノヤロー!
 KEN作品特有の、「肉体改造に対する、あまりにも楽天的な躊躇のなさ」も冴え渡っていて、重傷を負った将造の手足を勝手にマシンガンへ改造した政府の偉い人が「手足の一本や二本でガタガタ言うな!」と凄んだり、それを受けた将造が「よくもこんなスバラシイ身体に改造してくれたのう! 最高じゃあ!!と実にイイ笑顔で狂喜するシーン、または敵のマフィアが核ミサイルの弾頭に人間を埋め込み「これが本当の人間核ミサイルだ!」などと言ってのけるあたりの、バカと暴力がエクストリームに融合した破壊的ギャグの数々に爆笑しまくりでした。こんな素晴らしすぎる傑作を俺たちに放ってくれた天国のKEN先生に、最敬礼を!
 ちなみによく比較される兄貴筋・永井豪との比較で言うと、セックスに対する執着が驚くほど薄いのもKEN作品の特徴ですね。だから将造の女が輪姦されるシーンにも、いい意味での情念に裏打ちされた背徳感、エロティシズムはまったくない。性に目覚める中学生以前の、小学生的な快楽原則一本で貫かれたマンガだと言える。『バイオレンスジャック』が好きな自分には、そこが少しだけ興醒めだったかな…でもそれ以外は魂震えること間違いなしの、夢のようなマンガですよ。男子は全員読むべし。

 本作についてより詳しく知りたければ、このページをチェック!

純ブライド 1 (1)

 うおー、吉田聡!!
 これは泣いたね・・・フラフラ生きてた兄ちゃん姉ちゃんが、なりゆきまかせでふたり暮らし、地位もお金もここにゃァないが、日陰に咲く愛の美しさ、ってな、まぁ最近で言えば『赤灯えれじい』なんかに連なる“四畳半同棲もの”の系譜なわけだが、『湘南グラフィティ』で描かれる「男の子ユートピア」の無類の楽しさを味わってただけに、このテの作品の常道である「青春との訣別」が、とりわけハートに痛い。吉田聡が、自作の中のユートピア性を無邪気に信じてたわけじゃなくて(もちろんそりゃそうだろうが・・・)、その外側へ踏み出そうとする重く沈鬱な一歩さえも「青春」と捉えていたことを示す痛切な一編。娯楽性とマイナー・ポエットの中道を突っ切る、地味ながらも機知に溢れたダイアローグが素晴らしい。
 さすがに20年前の作品なんで、いろいろ古さを感じるところはあるんですけどね・・・ふたりを取り巻く「世間」からの重圧がすごいステレオタイプに描かれたりとか、いい意味でも悪い意味でも世界観が尾崎豊だったり。しかし本作がいいなァと思うのは、いくらふたりの「愛」が純粋なものであっても、それが社会の前にはまるで無力であること、それを貫くために捨てざるを得ないもの、捨てていく中で思い知らされる痛みの深さを、一つずつ味わうように刻みつけていく点だ。「愛」を声高に振り回すことなく、地に足をつけて歩んだ分だけを確かなものとして語る姿勢が、何というか含羞を感じさせて好ましい。いまのワカモノ寄りのサブカルチャーに必要なのは、こういうねばり強さだよなァ、と痛感した。

 いつものクセが出てしまうが、スプリングスティーンの「涙のサンダーロード」や「ザ・リバー」なんかを流しつつしみじみ読んでしまったよ。これだけセンチで愚直なお話を描きつつ、あざとさも甘ったるさもまるで感じさせない吉田聡って、改めてすごいなァ・・・

湘南グラフィティ 1 (1)

湘南グラフィティ(1) これ傑作。ブックオフで何の気なしに買い落としてきた『湘南爆走族』のスピンアウト的な小品なのだけど、ひょっとしたら本編より好きかもしれない。夢中で見入ってしまいましたよ。もう、この「エロ」と「バカ」しか頭にない、純情一徹で友情に篤いボンクラ高校生どものバカ男子センチメンタルとか、たまらなく愛おしいよ・・・手垢のついた形容になってしまうけれど、こういう作品こそがマンガにおける俺の「心のふるさと」なのだと言い切ってやるぜ。
 基本的に一話完結の軽いお話ばかりなのだが、切なさと脳天気が同居したバカ騒ぎギャグの合間に、ふと

 オレらの体のまわりにある時間だけが
 オレたちの体温だけでまわり出す


 なーんて染み入るような繊細な一節が顔を出すあたりも、吉田聡節ですね。
湘南グラフィティ(2) 他のマンガだったら余裕で雑魚キャラ扱いなハズの男の子たちに丁寧な片思いエピソードが用意されていて、そしてそのことごとくがさわやかに空振り三振で終わっていくのもまた、愛おしい。そう、男の、それも青春時代のホレたハレたの顛末なんて、《燃えつきた恋に悔いなどない》(by マッチ)で十分だったはずじゃないか。恋愛にからむ功利や打算なんてものが、いつから「非モテ」とか「スクールカースト」っつう言葉で大手を振っていいことになったのだろう? 何か大事なものが、この20年のあいだに歪んできてしまったとしか思えない。
 俺の買った大都社版では、連載から10年を経て描かれた続編が収録されているのだけど、ヤンキー文化が廃れ、インターネットが普及した頃になっても、やっぱり主人公たちはバカ高校生ライフを送っている。こうした作品から垣間見える吉田聡のドラマツルギーというのは、良くも悪くも「少年たちの終わらないユートピア」であって、明確に彼の影響下にある「ヤングキング」の作家たちが『QP』や『GOLD』といった作品で「ヤンキーのその後」を見据えたのは、そこから時計の針を進めようとする試みだったのだなぁ、ということがわかる。別にどっちがどうだって話じゃなくてね。

 

俺たちのテレ東洋画劇場

 何だか辛気くさいエントリばっか断続的に並ぶので、たまにはネジが飛んだことでも書こう。
 俺だって四六時中シャカイやオタク問題について考えているキモい人間ではない。脳のCPUに空きができた時は、すかさず《往年のテレ東ならこんなだったはずだ》洋画劇場・イン・俺ブレインが妄想上映されてたりするぞ。
 タイトルは『ハイスクール・ソルジャー2 〜戦場の愛と死をみつめて〜』
 マイケル・J・フォックスを10倍薄めたような男子高生・ビリー(トレードマークはもちろんUSAのバンダナ)が、カリフォルニアの落ちこぼれ高校に転校してくる。リック・モラニス的なヒョロ眼鏡担任に「え〜、ビリー君はモニカの隣かな」と指名されるや否や、学園のマドンナ・モニカ(フィービーケイツにゆるく似てるパツキン・笑うと歯に矯正ワイヤーが)を口説きはじめるビリー。
モニカ「ねぇビリー、あなたってストロベリーソーダよりロマンチックな人ね」
ビリー「ハハッ、よく言われるよ。でも君の瞳は、コスタリカの夕陽よりビューティフルさ!」
 面白くないのが、モニカに一方的ホの字なアメフト番長・ジェシー(キロあたり3円のホワイトトラッシュ顔・推定IQ40前後)。体育館裏へ呼び出され、「てめえ、モニカにちょっかい出すつもりかよ!?」とか何とかモメてる間に爆音がドガーン!!高校がテロリストたちに襲撃された!
 テロリストのボス(ルトガー・ハウアーのパチモンか?と思いきや、本物のルトガー・ハウアー)が部下を引き連れて教室に乱入。
「やぁ学生諸君、退屈な授業はおしまいだ!」
「な、何だね君たちは!?」
 オタつくヒョロ眼鏡の眉間を万年筆のペン先で速効ブチ抜き、ルトガーは「ここからがエキサイティングな授業の始まりだ!!」と高らかに宣言。
 だがテロリストたちは知らなかった−単なるケーハク高校生にしか見えないビリーが、実はコスタリカで実戦経験を積んだ凄腕の傭兵だったことを!
 この後、ビリーとジェシーがお約束通りに反発と結束を繰り返しながら、たまたま巡回中だった元FBIの用務員(サミュエル・L・ジャクソン)の助けを得て、黒板消しやデカ分度器などを使った文房具ウエポンでテロリストたちを倒していく。ジェシーが戦闘の合間にトラウマを告白しだしたら死亡フラグ(「そしたら、ダディと叔父さんが8歳の俺を押さえつけて・・・Oh!『馬みたいにやるんだ』と命令されて俺は・・・Ohhh〜!!」ビリー「もういいんだ」)
 クライマックスは、狙撃ヘリの飛び交う屋上で、モニカを人質に取ったルトガーと対決。「よせ!撃つなら俺を撃つんだ!」と武器を投げ捨てたビリーへ、ルトガーの銃弾がダララッ! しかし、なぜかそこだけジョン・ウー風スローモーションで崩れ落ちたのは、とっさに彼をかばったジェシーだった・・・
「へっ・・・、どうやら俺のハイスクール・デイズは、ここまでだぜ・・・」
「ジェーシィ〜!!」
 次の瞬間、ルトガーを射殺するスナイパー。モニカを抱き寄せ、屋上に仁王立ちしたビリーは、血まみれのバンダナ星条旗を振り回しながら「ステイツは、決して負けない!!」

 完璧。
 ってかコレ、一回くらい放映されたことあるんじゃねえの?
 このテの妄想なら、かなりストックがあるんですけどね・・・「キラー・アリゲーター2 大都市の闇に潜む恐怖の爬虫類! 禁断の科学をむさぼる人類の傲慢に遺伝子改造された凶悪巨大ワニが牙をむく!」とか。そういうのもあったな〜。

 そんなヨタ吐いててもいい加減ムナしくなるのはですね、つい数日前26歳になってしまった僕様ちゃんですが、何と『ナニワ金融道』に登場する俺たちのビッグビジネスメン(後にリトルビジネスメン)・肉欲棒太郎はんと同い年だったということですねん。こんな、ブログで愚言を垂れ流してる場合じゃあきまへんがな!!成り上がらなアカンで!

累犯障害者

 秘書給与の流用で逮捕され、刑に服していた著者が獄中で知った、障害を負った犯罪者たちの存在。出所後、こうした人々の実態を追いかける著者が目にしたのは、マスコミ報道からはけして窺い知ることのできない障害者たちの姿だった−

 いやぁ、読んでて久々にダメージ喰らいましたね・・・身内の話でアレなんだけど、母方の親戚にも、軽度の知的障害を持ってる従兄がいるの。で、もう小学生ぐらいの頃からそれにツケ込んだ連中の食い物にされてて、万引きの使い走りにされたり、勝手に名義使われて借金抱え込んだり。まァそこの家は三十年近く苦労のし通しですよ。
 本書では、さまざまな形で障害者が食い物にされていく現状を取り上げているけれど、やっぱり強く身に染みたのは、「弱者にも世間から保護される者と排除される者がおり、排除された者たちの間でも差別や搾取によって虐げる者と虐げられる者に分断される」ということ。そして、俺はまず間違いなく、罪悪感すら意識しないレベルで「彼ら」を拒絶する側に回っているんだろうなぁ、ということだ。
 正義ヅラして「弱者」を擁護するなんてのはあまりに簡単なことで、だけど本当にその真価が問われるのは、いざ「弱者」を背負うリスクが降りかかってきた時、テメエがどこまでその重荷に耐えられるか? ってことに尽きる。
 本書に登場するのは、おそらく身近に存在していたら、肩入れしても一文の得にもならない、いやそれどころか自分の社会的保障すら危うくしかねない、「排除された弱者」たちである。「刑務所しか居場所がない」からなし崩しに犯罪を重ねたり、「それしか人に受け入れられる術がない」から嬉々として売春に走ったり・・・こうした人々ってのは関わるだけ厄介だし、われわれ健常者の「こうあってほしい弱者」像に沿ってくれる「従順な弱者」でもない。いきおい、どこか自分たちの目に付かないところへ行ってほしい、って話になる。細かな福祉システム上の欠陥はひとまず脇に置くとして、そういう「排除の論理」が「保護されない弱者」たちを社会の外側に追いやっていることは間違いない。
 マスコミが、加害者や被害者が障害を負っていると判明した途端に報道を自粛してしまう、というケースがいくつか出てくるんだけど、これも要は同じ「排除の論理」で、視聴者含めたわれわれ全体が「見たくないもの」に封をしてしまってる、ってことだと思います。
 実際、自分の身に引き寄せて考えても、まだ家族がこういう障害者なら一生面倒見ていくしかないと思うけど、アカの他人にそこまで手は尽くせない、そこまで自分の人生に余裕はない、と考えを遮断してしまうもの。けれど、そういう個々のエゴのシワ寄せが、結局は「累犯障害者」という悪循環に行き着くのかと思うと、やりきれなくなりましたよ。

 あと、本書のテーマからはやや外れるけど、女性の知的障害者が売春に関して「何がいけないの?」と問い返すくだりにも、身につまされるものがあったねえ・・・。
 いや、そりゃ「道徳上の問題が」とか「売春組織の利益になるだけだから」とか、外ヅラの理由はいくらでも用意できますよ。
 でも、彼女らが望んでる、本質的な答えってのは全然そこじゃないわけ。障害者であるゆえに、「異性から愛される」ことへの欲求(と、それを現実に阻む敷居)がものすごく高くて、そのギャップを手近に埋められるのは売春しかなく、「それを手に入れるために体を売って、何が悪いの?」ってことで。 
 セックスを含めた男女間の情愛が、社会一般のつきあいよりも深く、パーソナルな安息や充実をもたらしてくれるってのは、否定しがたい事実だし、だからこそ人が恋愛を追い求めるってことは確かにあると思う。
 けど一方で、そこから疎外された彼女らが、カネの媒介する関係でも構わずに売春へ走ってしまうというのもまた、人が恋愛を求める心理の、ネガな一面だったりするわけですよ。そしてそこに利益へ群がる連中の合いの手がすかさず入り込んでくる。
 救われない話ですよ・・・だってさ、原理的に俺らは彼女らを救えないもの。悲モテとか言ってる場合じゃないですよ、ホントに。

梶原一騎、『スカーフェイス』をとりもどせ!

平成の梶原一騎待望論

 えっと、上のエントリで書かれてる、受験をめぐる意識の変遷について、ちょっと思い出したことがあるので、覚え書き。
 数年前に、あるバラエティ番組で「公立に入れるか私立に入れるか?」みたいな問題を扱ってて、そこで精神科医(だったかな?)の和田秀樹が「ワイロを払ってでも名門私立に入れる」って主張してたんですよ。当時は「いじめ」よりも「教室崩壊」のほうにスポットライトが当たってたので、「私立のほうが教育をきちんと受けさせられる」という論旨で話が進んでたんですが、「公立はいじめが多いから私立に入れたい」っていう意見と、土台になってる認識は同じものだと思う。
 周りの参加者からは当然のごとく非難を浴びてたんだけど、でもこれっておそらくある程度教養と財産を持ってる層にとっては、(世間に面と向かって言えるステイトメントではないにせよ)もはや共通認識に近いんだろうなァ、とネガティヴに納得した覚えがあります。もっと時代を遡ってたら、「経済レベルで教育に差がつく」と明言するような主張自体、画面に出しづらかったハズですし。
 これは大塚英志の『「彼女たち」の連合赤軍』からの孫引きになるんですが、そもそも庶民の間における「子どもを大学に入れる」という目標は、戦後のある時期までは階層の上昇をうながす意味合いがあった。「より良い教育を受けて大学を出れば、(ブルーカラーより上の階層としての)ホワイトカラーとして働ける」という、戦後の民主主義が日本の庶民にもたらした、ささやかな夢だったわけで。親にそれほど負担を掛けない公立の中学・高校が多く作られてきたのも、少なくとも形の上では「貧富の差にとらわれず大学へ行ける」という理想を示すためだったのだと思います(もちろん個々の現場では、経済的に折り合わなくて進学を断念するケースもままあったでしょうけど・・・)。
 でも、上の和田サンの主張では、そういう理想自体がナシになっちゃってるんですよね。だって、東大出のエリートが「カネに物言わせて私立に通わせて、一流大学に入れる」って言い切ってるんだもん。しかもそのおかげで振るい落とされてるかもしれない、より経済的に弱い人々への痛みの自覚もない。エスタブリッシュが自分のテリトリーを独占し続けようとしてるだけで、何の救いもないじゃないですか(そういう意味じゃ、和田サンを非難してた周りの芸能人にもいい加減白々しさを感じましたけどね。あんたらだって、子どもは有名私立に通わせてんだろ!)。学歴によって格差が埋められるどころか、学歴自体が格差を助長するような流れになってしまっているわけで、自分もそこには暗澹とするものを感じます。

 ・・・結局、これから日本の社会が格差の拡大・固定化に向かうのは、もう仕方ないと思うんですよ。っていうか、もともと日本には見えづらい階級が暗然と存在してて、それが多少露骨になっていくだけ、って感じもするんだけど、なればこそ「成り上がり」をめざす梶原一騎的な飢餓精神やストイシズムみたいなものを骨抜きにしちゃイカンな、と思いますね。
 「セレブ」とか「スローライフ」みたいな、“自然体でやってたら何となく勝ち組入りしましたよ”的な余裕人種を持ち上げる気運があるじゃないですか、今。裏返すとそれは《成り上がってやる!》っていう怨念や暑苦しさを空気のように封殺しかねない、下層で吹きだまってる負け組にルサンチマンを原動力にすることすら許さないヤラしさだと思う(しかも上っ面だけはソフトで、何となくこちらの「貧しさ」に理解を示すようなリベラルさを備えてたりもする。でもそういう連中は、自分たちのカネや階級を明け渡してくれたりはしねえんだよ、絶対!!)。
 梶原一騎とか、たとえば自分の場合はアル・パチーノの『スカーフェイス』とかなんですけど、なりふり構わず競争を生き抜こうとする男のギラギラって、そういう意味では否定されるべきじゃないし、にも関わらず現代の作品のドラマツルギーからは弾かれることが多いような気がします。うまく言えないけど、そのせいで荒んでくる部分って確実にあると思うんだよなあ。

田中誠 / 実録!関東昭和軍

実録!関東昭和軍 1 (1)
実録!関東昭和軍 1 (1)
田中 誠

 日本で最も「バ〜ロ〜!」「ウェッヘッヘ」といった下品ゼリフが似合うマンガ家・田中誠の新作。これぞ真の庶民マンガ。
 「庶民」というと、どうしても人情ドラマ的タテマエにコーティングされた「貧しくっても心は錦」ってなイメージがついて回りがちだが、田中誠マンガに登場する庶民たちはどいつもこいつも欲深で小狡く強きに弱い連中ばかりで、大いに好感が持てる。昔、牛肉偽装事件で肉を買い戻そうとした店にクズみたいな連中が金をせびろうと押し寄せたことがあったが、まぁ徹頭徹尾ああいうやつらしか出てこないマンガなわけだ。それでいてトカジのように完全に対岸へ投げ捨てるのではなく、浮かび上がろうともがく庶民の悪戦苦闘を要所要所でさりげなくフォローしていて読ませる。今週の連載では、妻子に逃げられた鬼監督の、俗物野郎ならではの悲しみを実に泣かせるタッチで描いていて、染みたねぇ〜。世のマンガ読みどもは、せいぜいキャリア志向OLにしか向かっていかない『働きマン』なんかより、こういうマンガをもっと噛み締めるべきだぜ。俺たちァ気取りに気を遣ってるヒマなんかねえんだよ、このボケ!
 「この世は利権と理不尽で回ってる」という田中誠的世界観も、おそらく球界の内幕的なことにもかなり突っ込んで取材しているのだと思うが、高校野球が舞台ゆえのブラックさが際立っていてサイコー。と同時に、おれはまるっきり草食文化系ナードで、長年上意下達ガッハッハな体育会系メンタリティをバカにしてきたところがあるのだが、「世の中の理不尽に身をもって慣れる」という意味では、まるっきりそういう力関係に関わらなかったのも損失だったかなあと思ってしまう。そりゃあ人生に理不尽はないに越したことはないが、現実に世の中は往々にして無理が通って道理が引っ込む仕組みになっているし、そこで腰が引けちゃう文弱ヤロー特有の甘えを猛省する機会が多いのでね。タフに、猥雑に、無神経に生きたいものだ。
 モーニング連載陣の中でも、どういう人が読んでるのかかなり想像しづらいマンガだが、「読んでる」という人とは友だちになれそうな気がする、そんなマンガ。空気のように続いて欲しいなァ。

『レイジング・ブル』 / 監督:マーティン・スコセッシ 脚本:ポール・シュレーダー、マーディク・マーチン (1980 アメリカ)

レイジング・ブル
レイジング・ブル
ロバート・デ・ニーロ

 男の映画である。もう、これ以上はないというほどに男の映画である。俺の尊敬する映画作家のラインで言えば、ペキンパーには『ガルシアの首』があり、深作には『仁義の墓場』があって、そしてスコセッシにはこの『レイジング・ブル』がある。戦い、滅びていくことでしか己の存在を証明できない男の激しさ、悲しさ、愚かしさをとことんまで突き詰めてゆく。そういうたぐいの作品。
 冒頭、デ・ニーロ演ずるミドル級ボクサー、ジェイク・ラモッタがリングの上で孤独にシャドーを繰り返す。スローモーションと葬送曲のような音楽で描き出されるこのシークエンスは、心臓が止まるかと思うくらいに美しい。メリハリのきいた構成とはとても言えない映画だが、この一瞬のために2時間強の長丁場を耐えてもいいと思える。そんな映画のマジックが全編に冴え渡っている。
 過剰な闘争心と独占欲に突き動かされ、成功の極みから人生のドン底へ転がり落ちていくジェイク・ラモッタに、つい感情移入してしまう……などと口にするのはおこがましいが、けれどこういうどうしようもない人間の堕ちざまに胸を突かれないか、と言ったら、それもまたウソになる。
 東京の下辺でウダウダ生きてるオレですけど、スクールカーストだなんだっていう些末な関係性のゲームに汲々とするよりは、ジェイクのように抗い続けた果てに落ちぶれて、鏡の前で「俺がボスだ!」っつって空威張りのシャドーを決めたいわけですよ。ハナっから自分のダメや挫折を先取りして、手の込んだエクスキューズで自尊心を温存するような姑息が、この男には微塵もないもの。
 スコセッシは、このテの映画に付いて回りがちな《でも、実はいいヤツだったんだよ》的なフォローを残酷なまでに引っぺがし、とにかく貪欲で自己中心的な男の自業自得として描いているが、だからこそ「最後までノックダウンをはねのけた」ジェイクの意地と執念には心動かされるものがある。滅び去ることが男の業なのだから、歯を食いしばって前へ倒れることだけが、男に許された格好の良さなのだと信じることができる、そういう負の美学のようなものが厳然と屹立している映画。俺もこれから出勤する朝は、「俺がボスだ!」っつって気合いを入れるわ。戦っていかなきゃね。

 追記。さっき寝れんくて飛び飛びで再見してたんだけど、ジェイクの妻を演じるキャシー・モリアーティがいい。出だしはいかにも蓮っ葉な小娘なんだけど、家庭を築くにつれて意外にもだんだんと情の深い女になっていく。愛想を尽かして家を出ようとしたとき、「行かないでくれ」と無様にすがりつくジェイクに抱きしめられるカットがもろに情緒的で、沁みたなぁ(まぁ、結局別れちゃうんだけどさ…)。たとえばインテリ、リベラル的な書き手って、こういう女性像を《身勝手に母性を投影してる》と斥けようとするけど、一方でこういう情愛が一定の男女の普遍を捉えてる、っていうことも確かにある。何かそこは外さないようにしないと、人間を見る目が知らず知らずに貧しくなってしまう気がするよ。

スガシカオ / 19才

19才(初回生産限定盤)(DVD付)
19才(初回生産限定盤)(DVD付)
スガシカオ,屋敷豪太

すばらしい!!
独特の思春期屈折リリックと、ダークな直球ファンク節が見事にハマった傑作。

スガシカオって、もしかして現シーンで最も童貞ゴコロを歌えるミュージシャンではなかろうか?
ゴーイング・ステディの「童貞ソー・ヤング」が信頼できないのは、大体にして童貞というのがそんなスポーティにかっ飛ばせるほど、抜けのいいものではないからだ。
何というかこう、異性に対する身勝手な思い入れと、周囲に対する何とも言えない引け目と、性欲の持っていきどころが見つからない煩悶がないまぜになって、コールタールのようにじくじくと煮詰まっているあの抜けきらない感じが、実に童貞的で、かつ19才的なのである。一聴してそれと悟らせない、寓喩を巧みに使った語り口も秀逸。

スガシカオ独特の「モテ感」が、かなり童貞をこじらせた感じ(しかも末期症状)とリンクしてる、というのは前から思ってたことなのだが、なかなか人に通じないのが残念。でも絶対、それはあると思うんだけどな〜。

ちなみに映画『デスノート』の主題歌って、てっきりコッチだと思ってました。月君って、実は童貞(の妄想の具現化)って感じがしませんか、何か。

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